2008年 01月 12日
パンのお話。(修行という名の道) |
「目に見える世界と目に見えない世界。」
これは、ややもすると、あやし~い話になってしまいそうだが、実は、そんな類の話ではなく、我々の日常に、いつでも、いくらでも、転がっていることだ。
パンづくりという仕事は、ある意味、とてもシンプルだ。
作る人によって、作ったものが、ただただ、その結果として出る。
全くもって、現実的な世界。
広告の世界から飛び出した当時の私は、そのリアリティに憧れていたのだと思う。
「言葉」を紡ぐイメージの世界ではなく、どうあがいても突き出される現実。
そこには、潔ぎよい清々しさがあったし、何より、自分の作ったものを、食べてもらって、お金をもらった上に、喜んでもらえる・・。
こんな幸せな仕事はない、と思った。
だから、私は、パン修行に入った時、技術を早く習得したくて、質問責めをした。
「言葉」という手段を使って・・・。
「これは、どれぐらいの温度か。、どれぐらいの時間寝かせるのか。
どのくらいの薪の量を使って、どれぐらい火を熾して、どれぐらいの蒸気を使うのか。
本にはこう書いてあるが、これはどうなのか・・・云々」
もう言い出したら、きりがない。
こうしたら、こうなる、という正しい答えなるものが存在していると固く信じていた。
私の上にいたチーフは、そんな私に眉をひそめた。
今考えると、ほんとうに恥かしいおバカなことなのだが、
当時の私は、何の疑いもなく熱心な研修生を演じていたのだ。
「なぜ、人間の五感を使わないのか。」
「パンを目で見て、匂いを感じ、手で触って、耳を澄ませ、味わおうとしないのか。」
それは、言葉では表現できないかもしれないが、感じることはできるはずだ。
それをしようとしていない私に対して、チーフは口を閉ざした。
教えることはしても、ただ「言葉」では教えない。
「職人の世界って、なんて閉鎖的で、頑固なんだ。」
私は憤慨した。
表面的にしか、ものを見れていない頭でっかちの私は、
「職人=閉鎖的」というレッテルを、いとも簡単につけた。
実は、職人の仕事は、本当はその対極にある。
本当は自分の「我」をどんどん落としていかなければならない作業だからだ。
もっともそれが、わかったのは、もっともっと後になってからのことなのだが・・。
ともあれ、この苦しい修行時代は、そうした「言葉」のカテゴリーをぶち壊さなければならない
ことから始まったのだった。
(つづく・・)
P.S.にーやんのひとりごと・・。
「パンのお話」。書き進めていくうちに、何だか、こんな感じになってるけど、いいのかしら・・。
本当は、発酵のこととか、旅した時のパンの話とか、しようと思ってたのに・・。
ごめーん。いつもの行き当たりばったり・・。
ご意見あれば、どうぞご遠慮なく~!
by themarket
| 2008-01-12 23:41
| パンのお話